03.4.22 小石川植物園

雌花  03.4.22 小石川植物園

雄花  03.4.21 新宿御苑


イチョウ (銀杏)

     

 

イチョウ科イチョウ属 

学名 Ginkgo biloba

原産地 中国(安徽省、浙江省)だと言われるが不明

落葉高木


イチョウには語ることが多い。 まず、東京に住んでいる者としては、東京都の木として親しまれているし、

街路樹としても一番数が多い。 公害に強く、病虫害もなく、移植もしやすい。 

街路樹の条件としてすばらしい素質を持っている。 それに加え、外国産の木なのに台風に強い。 

実はこれが一番、すごい素質なのではないかと思う。 寿命も長く、各地に巨木が残る。 

その大きく枝を広げた雄大な姿から、神聖視される木でもある。

葉は、いわゆるイチョウ型とも扇型とも言われる形で、真ん中がくびれる独特の形で、他に似た形が無いので

容易に見分けがつく。 他の特徴としては、枝や幹から垂れ下がる「乳」と言われる突起物である。

この乳は出る株と出ない株がある。 イチョウは雌雄異株なので、メスの木だけにつく特徴と思われてきた。

突起物を、人間の女性の乳に見立てた発想だが、実は関係がないことがわかっている。

しかし、これを乳と見立て、母乳の出ない母親がそれに触ると母乳が出るようになるという伝説のある木が

各地にある。 この乳の正体は気根ではないかと言われているが、それはわからない。

原産地は中国は安徽省、浙江省だと言われているが、もう現地では絶滅していると言われているので、

本当の原産地は不明である。 日本には室町時代に渡来したと言われている。 中国僧が持ち込んだと言われて

いるが、そのわけは、イチョウの名の由来による。 イチョウの名は中国語のイーチャウ(鴨脚)から来ている

というからだ。 なるほど、言われてみれば鴨の脚の形にそっくりである。

イチョウは、生きている化石とも呼ばれ、その歴史も相当古い。 化石などからイチョウの仲間がいろいろ

見つかっているが、そのもっとも全盛だった時代は中生代ジュラ紀とも言われている。

まさに恐竜時代の生き残りである。 イチョウはその時代からほとんど姿を変えていないと言われているが、

それがなぜ現代まで生き延びることが出来たのかは謎である。 イチョウは人間が増やさなければ、野生では

増えることがたいへん困難な植物である。 それは種子の独特の構造による。 秋になるとイチョウの実が

落ちてくる。 経験した人はわかるが、すごい悪臭である。 悪臭がするのは外種皮で、それを取り除いた

種子はギンナンと呼ばれ、食用になる。 この悪臭のある外種皮をあえて食べようとする動物はいない。

そのため、種子を運ぶ動物が存在せず、種が絶えてしまうのだ。 しかし、最近の観察では、タヌキやネズミが

この種子を食べることがわかっている。 それにしても、生育力は旺盛なのに、繁殖力が弱いことには変わりが

ない。 古代にはこの種子を好んで食べる大型の鳥みたいなものがいたのだろうか?

ギンナンは食料となると言ったが、確かに炒ったギンナンや、茶わん蒸しに入れたものはおいしくて、自分も

好きである。 しかし、微量の毒性分が含まれていることは案外知られていず、食べ過ぎると中毒を起こす。

葉にはギンクゲチンというフラボノイドが含まれていて、血管の薬になるという。

材は軟らかく加工がしやすく、抗菌作用があるので、まな板として有名と、いろいろ役にたつ実用木でもある。

イチョウはよく目につき、春の芽出しの緑、秋の黄葉と彩りも美しい木で、撮影を何度もしたが、いちどその

雌花を見たいと思っていた。 雄花はよく見かけるのだが、雌花はなかなかみることができない。

それはそのはずで、イチョウは花粉を風に飛ばす風媒花である。 だから雌花は風のよく通る、比較的高い位置に

咲いていないと意味がない。 そういうわけで、カメラの撮れる位置で雌花を見ることは半ばあきらめていた。

しかし、古い木で、大枝が垂れて地面すれすれまで来ているものには望みがあるのではと、小石川植物園の有名な

「精子発見のイチョウ」を見てみることにした。 この木は日本の植物学史上でもメモリアルな木で、

1896年、この木から当時の東京理科大学(現東京大学理学部)の画工であり、助手であった平瀬作五郎氏が

精子を発見して、初めて植物から精子が発見されるという、大発見の木なのである。

精子が発見されたが、この木はメスで、毎年数多くのギンナンを成らせる。 そこで、それにあやかるのはないが、

なんとか雌花が観察できるのではないかと、木のまわりをぐるっとまわってみた。

そうしたら、なんと一本の枝の、若葉が出ているその間に明らかに葉とは違う器官を発見した。

頭の上、地上からは2.5mほどのところにその花は咲いていた。 手をのばして届くようなら引き寄せて接写

できたのだが、それはぎりぎりできなかったので、望遠でなんとか撮れるかやってみた。

でき上がった写真をモニターでみると、ちゃんと写っていたのでほっとした。 何かこの木から授かった気が

する写真になった。 自分にとってもメモリアルである。